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GEAIM:ゲーマーとしての経験を活かし、eスポーツイベントプロデュースや書籍執筆などマルチに活躍する松井 悠 さんインタビュー

公開日:2011-02-22 11:27:39

松井 悠さんは世界80カ国以上の代表選手が出場するeスポーツの世界大会『World Cyber Games』、中国・韓国政府主催によるeスポーツイベント『International E-sports Festival』といった、国際的なeスポーツイベントの日本プロデューサーを務めるかたわら、ゲーム業界の最新トレンドをまとめた『デジタルゲームの教科書』スーパーバイザーなど、国内外のゲームシーンで活躍されています。

それぞれの世界では知られた存在の松井さんですが、どのような活動を経て現在に至るかはあまり知られていません。今回は、インタビューを通じて、松井さんの過去から現在までの活動に迫ってみました。

ゲーマーとしての活動を行っていた10代

松井さんが初めてゲームに触れたのはいつでしょうか。また、それはどんなタイトルでしたでしょうか。

松井: ゲームに触れた、というところでは、小学生の時代に友達の家でファミコンを触らせてもらったのが最初だったと記憶しています。ただ、家ではゲームが禁止されていたということもあって、しっかりとやりはじめたのは、小学校 6 年生くらいのときに「ストリートファイター II」をゲームセンターで遊んでからです、ちょうど中学受験まっさかりの頃に、ストレスのはけ口みたいな形で遊び初めたのがきっかけでした。

それから、中学の時は「ストリートファイター II'」を筆頭に、様々な対戦格闘ゲームがリリースされることになります。この時期は、まだゲームセンターもいろいろな場所にあって、対戦相手には困りませんでしたね。

ゲームセンターでのプレーに夢中だったようですが、大会やイベントには出場されましたか?

大会にエントリーをしたのは初代の『鉄拳』が初めてでした。これが 1995 年の事で、プレイシティキャロット高田馬場店というところで行われた大会に出場しました。この時の結果は、準優勝だったと思います。余談ですが、そのとき優勝したプレイヤーさんとはいまだに仲がいいですね。

そのあと、『鉄拳 2』 がリリースされ、プレイステーションブームも相まってゲーセンはかなり盛り上がっていました。この頃、吉祥寺近辺の高校に進学し、学校の近くにあるプレイシティキャロット西荻窪店で『鉄拳 2』にいそしむことになりました。

当時は『ゲーメスト』という有名なアーケードゲーム雑誌がいろいろな格闘ゲームの日本大会を行っていまして、そのゲーメストが開催していた『鉄拳 2』の全国大会に参加したのですが、ベスト 16で敗退してしまいました。あれはかなり悔しかったですね。

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プレイステーション版『鉄拳2』公式サイト

全国大会が行われてしばらくすると、後に『鉄拳の聖地』と呼ばれることになるプレイマックス新宿店のプレイヤーたちが、『プレイシティキャロット西荻窪店』に大挙してやってきます。そこで知り合ったプレイヤーさんに、「プレイマックス新宿店に来れば対戦相手には困らない」と言われて、わざわざ定期券の経由地を変更して新宿に通うようになりました。それが、96 年あたりの出来事ですね。

適正なレベルの対戦相手に恵まれると、スキル上達がものすごく早くなる、というのは何にしても同じことで、そこで僕はメキメキと強くなっていきます、と自分で言うのも何ですが、学校が終わってから、22時まで(風営法により、18歳未満は22時までしか入れなかった)、毎日のようにプレイしていれば、それはまぁ……強くなりますよね。

プレイマックスには、鉄拳を開発していたn社による『公認プレイヤー制度』というものがありまして、プレイマックスで行われたトーナメントで幾度もの優勝を達成していた実績を評価され公認プレイヤーに認定されました。

その後、『ザ・プレイステーション』というゲーム雑誌のライターとして、お仕事をいただけるようになります。当時、鉄拳の攻略集団として、かなり有名だった『卍党』という団体に所属するようになり、そこで「ストリーキング松井」という名前で記事を書いていたのは知る人ぞ知るお話です。 今でも当時の原稿が掲載された雑誌をもっていますが、自分の日本語能力の低さにただただ赤面するばかりですね。

ーお話を聞いていると、これまでに一番真剣に取り組んだゲームというと鉄拳シリーズということになるのでしょうか?

松井: そうですね。『鉄拳 2』時代に仕事を教えてくれた方をはじめ、かわいがってくれた人たちが仕事の都合や、家庭の事情でプレイマックスから離れてしまっている中で、僕は新たにリリースされた『鉄拳 3』を盛り上げていこう、というモチベーションでプレイを続けました。この頃から、自分で大会を主催しはじました。最初にやった大会は確か、17歳か18歳のときだったと思います。

当時、東京の『鉄拳3』シーンは非常に盛り上がっており、朝から閉店まで一度もデモ画面が流れない(お店に10 セット近くある鉄拳 3 の対戦台で常に対戦が行われているため)、なんていう都市伝説みたいなお話もあったくらいでした。

最初にやったイベントはどんなものだったのですか?

松井: 当時、18 歳くらいの時だったと思いますが、渋谷にあるナムコ系列のゲームセンター『INTI 渋谷店』で、鉄拳 3 のトーナメント +DJ イベント『GameJam』というイベントを主催しました。ちなみに、セガさんが行っていた「GameJAM」というイベントとは、同名ですがまったく関係ありません。

この時は、鉄拳だけではなく、音ゲーや、アクションゲームなど、ゲームセンターを盛り上げるためのイベントを行っていました。その後、これらのイベントは、青森、山形、札幌などで出張開催し、スタッフを連れて日本中を転々とすることになりました。これらの活動を通じてイベント運営のスキルを身につける事が出来たと思っています。また、この時のコネクションがその後の仕事にも大きくつながったと思っています。

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『GameJAM in Sapporo Amuseum』の様子

鉄拳 3 の頃は、雑誌での露出もあったせいか日本全国のゲームセンターからお呼びがかかりました。週末に行われるイベントでのゲスト組手や、実況、プロモーションのお手伝いもさせてもらっていました。ほぼ、毎週どこかのゲームセンターでマイクを握っていたせいか、その後、FM ラジオの DJ や、スカパー!の番組パーソナリティーをやったときも、それほど違和感なくこなす事が出来ましたね。

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近年ではゲーム、講演、DJなどをミックスした
ユニークなゲームイベント『ゲーマーズラウンジ』を開催。

ビジネス志向へとシフトを始めた20代

ー真剣にゲームに取り組んだ結果、徐々にゲームが仕事になっていったということですね。この辺りについて詳しくお話を聞かせていただけますか?

松井: 中学受験で入れた学校にそのままいれば、大学までエスカレーター式に進学することが出来たのですが、ゲームのやり過ぎでドロップアウトしたあたりで、学歴志向をあきらめて、起業について少し考え始めていたような記憶があります。

まずは、イベントオーガナイズ集団として、18 歳の時に『Freak's』という団体を立ち上げました。先ほどお話ししました、ゲームセンターでのイベントなども、このレーベルでやっていました。

そして、高校の3年生のときに、それまでのプレイ活動の集大成として同人誌を一冊作ってみました。それが『IRON FIST Freak's』というもので、日本全国のトッププレイヤーに攻略記事を書いてもらい出版しました。この時に、DTP やデザイン等で協力してもらったプレイヤーとは、その後もいろいろなシーンで仕事をご一緒させていただいています。

この本をきっかけにして、『ザ・プレイステーション』の攻略本『TEKKEN 3 THE MASTERS GUIDE』の制作に携わらせてもらえるようになりました。とはいっても、このおかげで、大学入学から 1 ヶ月間まるまる編集部に泊まり込むことになり、あとはおきまりのパターンになるのですが……。

その後、20歳(1999年)の時に大学の仲間を中心として編集プロダクション『team StrayDogs』を立ち上げます。そこから、オンラインゲームマガジン『GamelexAC』を発行したり、クラブイベントの運営を行ったりしました。この頃は、ゲームを真剣にプレーするというよりも、「記事を書くため」「イベントをやるため」というスタイルでゲームに取り組んでいました。

その後、VJ ソフトのプロモーションの仕事仲間達と共に今の会社『グルーブシンク』を立ち上げることになります。ほとんどの人は、僕が eスポーツ 関連の仕事をメインにしていると思っておられるようですが、これは勘違いで、メインの業務は「デザイン」「ライティング」「プロモーション」などで、ゲーム関連のお仕事の比率は皆さんが思っているほど高くはないです。もちろん、お声がかかれば、喜んでやらせていただいていますし、名前は出ていませんけれども、ゲーム関連のお仕事もいろいろとやっています。

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松井氏が代表を務める『株式会社グルーブシンク』。
Web サイトや記事・書籍の制作業務がメイン

eスポーツとの出会い

初めて「eスポーツ」の仕事として取り組んだのはどのイベントでしょうか?また、それはどのような経緯で関わる事になったのでしょうか?

松井: 「eスポーツ」という名称は特に意識しませんでしたが、「国際的なゲーム大会の仕事」というところでは、2001 年の 11 月に、JETRO が主催した、日韓交流祭ですね。韓国・釜山と日本・渋谷を繋いだゲームイベント2年連続で開催しました。

実際に「eスポーツ」というキーワードを聞いたのは、2005 年の『World Cyber Games』あたりからですね。経緯は当時 Counter-Strike や Quake3 で活躍された 松崎 "BRZRK" マークさんに「格闘ゲームの知識があり実況解説を出来る人物」として紹介していただいたのがきっかけです。ちなみに、その年の 8 月にラスベガスで開催された世界一の格闘ゲームイベント『EVOLUTION』にBRZRK さんと参戦したりもしました。

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この時の渡米の際に「アメリカ・デスバレーにてデスバレーボムを決める」
というネタを BRZRK 氏と共に披露する松井氏

ーeスポーツイベントの国際大会予選を多数開催されていますが、運営のノウハウなどは何かあったのでしょうか?

松井: ノウハウに関していうと、クラブイベント仕込みの部分と、ゲームイベント仕込みの部分、両方あります。クラブイベントについては、設営と撤収の効率化、ゲームイベントについては、導線や電源関連の部分ですね。どのイベントでもそうですが、常に予算や時間が限られている都合上、できないことも多々ありますが、なるべくプレイヤーに負担をかけないようにしたいと心がけています

とはいえ、ここ最近、国際大会の日本予選開催にあたって、告知から開催までがあまりにも短いのがなんとも難しいところですね。予算やスケジュールの兼ね合いでどうしてもギリギリになってしまいます。改善をしたいとは思っているんですが、なかなか……。

多数の eスポーツ関連の仕事をされていますが、本業とのバランスはどうなっているのでしょうか?

松井: 先ほども言いました通り、本業というか、メインの仕事がデザイン関連ですから、正直なところeスポーツ関連の売上は10%に満たないと思います。

それに、eスポーツの仕事は時間のとられかたが尋常ではないので、メインの仕事に負荷がかからないような時間帯で作業をすることが多いです。

eスポーツ関連の仕事を継続して行っている理由はなんでしょうか?仕事としての売り上げ比率は低いとのことですが、今後も継続して活動を続けていきますか?

松井: eスポーツ関連の仕事はほとんどライフワークですね。元々自分がプレイヤーであった事、当時日本一になっても評価されなかった事、自分を育て上げてくれた兄貴分プレイヤーたちへの恩返しとして、次の世代のプレイヤーたちによりよい環境を提供したい、という気持ちがモチベーションとなっています。

もちろん、eスポーツ に限定された話ではなく、ゲームを楽しむ事を今後も続けていきたいと思っていますし、いまでもゲームはプレイし続けています。

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『WCG2008 アジアチャンピオンシップ』ではプレーヤーとして
Guitar Hero III 部門に出場し、決勝トーナメントに進出。

ー昨年、書籍『デジタルゲームの教科書』を出版されました。この書籍が誕生する事になったきっかけについて教えてください。

松井: 『デジタルゲームの教科書』は、24 のテーマについて、18 人のライターが執筆している書籍で、ゲームの産業構造や、オンラインゲームの仕組み、国内外のゲームシーン、AI やプロシージャル技術、そして eスポーツ など、様々な内容が収録されています。

もともとの企画は「eスポーツ についての新書を作ろう」という物で、ソフトバンククリエイティブに持ち込んだのですが「eスポーツ の本は売れない!」と言われてしまい、そこから企画を発展させて『デジタルゲームの教科書』が誕生する事となりました。現在、2冊目の企画が進行していますので、そちらも形になったらぜひご紹介していただきたいと思います。

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公式サイトでは無料版 PDF を配布中。

ー毎年海外のeスポーツ大会に行かれていますが、日本と海外のゲーマーの違いはありますか?

松井: よく言われる事ですが、日本はサブカルチャーをものすごく低次元の対象として認識する傾向があります。ゲーム、アニメに限らず、職業として成立しづらいものごと、平たく言えば金にならないことを真剣に、時間を割いてやっている人たちがほとんど評価されません。

例えば、日本で「ゲーム日本一だ」と言っても褒められる事はほとんど無く、一般的には「日本一になるほどゲームにのめり込むなんて…」というようなマイナス評価をされてしまうことがほとんどではないでしょうか。ですが、海外で「ゲームで日本一だ」と言うと、それはリスペクトの対象になります。この、評価に対する根っこの部分はもう変わらないと思うので、それはそれとして、そういうものだと思ってやっていくしかないでしょうね。

あとは、日本のゲーマーは、やっぱりメンタル面が弱い印象を受けます。特に、劣勢に追い込まれたときに跳ね返せないでそのままずるずるといってしまうことが多い。もちろん、それはアマチュアとしてゲームに取り組んでいるのか、プロとしてやっているのかの違いという部分もあるかと思いますが、海外のプロゲーマーは、メンタル面が非常に強い。もちろん、スキルについては言うまでもないですが……。

海外の eスポーツシーンの盛り上がりについて教えてください。
松井: これについては、語るときりがないので、これまで執筆したレポート記事をご覧いただければと思います(笑)。

大前提でいうと、日本よりは盛り上がっています。ただ、リーマンショック以降、広告宣伝費があつまらないこともあって、国際大会の運営もなかなか難しいところがあるそうです。

日本では、日本選手を渡航させるための金策が難しくぎりぎりまで決まらないため、開催直前になって選手を集めることになっているのはつらいところですね。日本では開催費用、渡航費用を運営サイドが持つのは当たり前という認識が強いですが、一部の国では、国際大会の予選選考に参加するための費用を参加選手が支払い、予選開催費に充当し渡航費用は自分たちで持つ、というところもあります。

予選が開催されない事で不満の意見が見られることもありますが、運営側が全ての費用を負担するというのは実は大変な事で、開催を実現するのも一苦労だという事を知っておいていただけると見方が変わってくるのではないでしょうか。

このほかに、国際大会については、個人でエントリーを行うことで参加できるものがいろいろとありますから、自己負担でそういった大会に一度参加してみるのも悪くはないと思います。uNleashed こと、田原 尚展さんみたいなスタイルですね。おそらく、良い意味で、ものすごいカルチャーショックを受けて帰ってくることになると思います。

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昨年中国で開催された『International E-sports/entertainment Festival 2010』の様子。日本とは比較にならない規模だ。(写真提供: 松井氏)

ー日本代表選手団の引率や、海外での講演などをされていますが、英会話は堪能なのでしょうか?

松井: 正直なところ、中高大学と英語はほぼ赤点でした。実際に「英語をしゃべれるようにならなくては」と思ったのは18 歳の時にイギリスで開催された『鉄拳 3』の世界大会に渡航した時です。

当時は雑誌でライターの仕事もしており、編集長に「4 ページあけておくから、海外の鉄拳プレイヤーを取材してきてね」と英和辞典と和英辞典をセットで渡されました。先ほど申し上げたとおり英語は全くできなかったのですが、仕事なのでなんとしても原稿を作らなくてはならない。無理矢理英語で質問文章を作り、会場にいる選手達に辞書片手に片言の英語で突撃取材をしました。余談ですがその大会にイギリス代表として出場していたライアン・ハート選手は 13 年たったいまでも現役のプレイヤーで、この前も『Dreamhack Summer 2010』の Super Street Fighter IV 部門で優勝していました。

その後、2006 年まで海外で英語を使う機会に恵まれなかったのですが、イタリアで開催された『World Cyber Games 2006』に選手として同行していた Nao-K さんが非常に流ちょうな英語を話しているのを見て影響を受け、英語を再度学んだというところもあります。

英語の学習方法については説明しきれませんので、個人的に聞いていただけたらと思います。ヒアリング能力については、ローカライズされていない FPS のシナリオモードをやりまくっていると、かなり上がる、ということを一つお伝えしておきます。読み書きについては、正直僕は非常に低レベルなのでなんともいえません……。

ー「eスポーツ」についてどのように捉えられているでしょうか?

松井: 僕は「eスポーツ」でも「Competitive Gaming」でも「ガチゲーム」でもなんでもいいと思っています。

講演でも必ず、この点についてお話をするのですが、「デジタルゲームというコンテンツの遊び方」というところで、「プレイする」「コスプレする」「実況動画などを見る」「音楽を聴く」「自分で作る」などいろいろなものがありますよね。 その中の一つとして「ゲームを競う」という遊び方がある。その、「ゲームを競う」という遊び方を、海外では「electronic sports」つまり「eスポーツ」と呼んでいるのだと。僕は「eスポーツ」をそのように解釈しています。

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ハーマンミラーエルゴキオスク仙台での講演
松井氏は「e-Sports」に関する様々な講演を行っている。

デジタルゲームを使って、「何らかの競技性を持たせる」事ができれば、それは「eスポーツ」といって良いのではないかと。「これは eスポーツ だ」とか「これは eスポーツ じゃない」という議論はそもそもずれているのではないでしょうか。ただ「競技として成立するか」という側面と「競技者が集まるか」という側面は別です。

あと、日本では「eスポーツ」という言葉自体がなんだか残念な響きになっているためなのかどうかわかりませんが、ゲーム大会を「eスポーツ」と称さない傾向もあります。それは、マーケティング的な志向もあるでしょうし、そこは企業や団体それぞれの判断ですね。

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「eスポーツ」については、松井氏が執筆を担当した『デジタルゲームの教科書』15章 デジタルゲームを競技として捉える「e-sports」が詳しい。

僕はこのようなゲーム競技を通じて、一人でも多くのプレイヤーに世界の風を感じてもらい、それを通して何かを見つけてもらえたら良いと思っています。元々、僕がゲーム関連の仕事についてのモチベーションは「喰えるゲーマー」を作ることです。ただ、勘違いしないでほしいのは、「ゲーマーを喰わせること」ではない。

日本だと、いろんなゲームメーカーが毎週末にプロモーションのイベントをやりますよね? あれは当たり前ですが「ゲームを買ってもらう」ためのイベントです。つまり、販売促進を目的としているわけです。そういう目的があるから、グッズも配るし、いい景品をや賞金を出したり、声優やタレントなどのゲストを呼んだりする。

日本のeスポーツイベントは、そういう販促イベントに比べると規模が小さいですよね。その違いの理由を考えたことのあるプレイヤーは少ないのではないでしょうか。

ー「プロゲーマー」に憧れているゲーマーは少なくないと思います。日本で「プロゲーマー」を目指すにはどうしたら良いでしょうか?

松井: まず、「プロゲーマー」の定義をきめないといけませんよね。韓国でいうと、『韓国 e-Sports 協会(KeSPA)』 という団体が、プロゲーマーのライセンスを発行しています。ヨーロッパのように、企業と契約をするプロゲーマーもいますし、アメリカには賞金大会を渡り歩くゲーマーもいます。そのどれを目指すのか、というところですが……。

それから「プロ」というところでいうと例えば、職業選手としてのプロなのか、活動をサポートしてもらうためのプロなのか、というところもあります。いずれにせよ、日本でそれを希望するのは、あまりにもつらく険しい道でしょうね。

夢を壊すようでなんですが、個人的な意見では「ゲームだけやって金もらって暮らせるなんて甘い話があるわけがない」と思っています。国際大会に出て優秀な成績を収め続ける、あるいは国内で大きなコミュニティを持つ、そういったスキルがないと厳しいでしょう。

先ほども言いましたが「ゲーマーとして喰えるかどうか」と聞かれればそれは「できる」といえます。実際の所、僕がそうですから。僕自身がゲーマーとして仕事をしてきた経歴ですが、「ライター」を皮切りに、「編集者」、「イベントオーガナイザー」、「ラジオ DJ」、「番組パーソナリティー」、「番組構成」、「広報宣伝」、「Web 制作」、「大学の講師」、「映像制作」、「産学共同研究のコーディネイト」といったものがあります。

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2011 年 1 月にデジタルハリウッド大学で「e-Sports」に関する講義を行なった際の松井氏。

これらは、すべて「ゲームができる」というスキルを持っていたからもらえた仕事ですから、「ゲームを通じて仕事をもらう」ということは実際にあり得るわけです。もちろん、ゲームのスキルだけではなんともなりませんが、少なくとも、そういった事例はある、ということです。

ゲームで日本一、世界一を目指してプレイすることはすばらしいこと。これを通して手に入れられる経験は何物にも代え難いものです。しかし、重要なのはバランス感覚であり、「いつか必ず社会に戻ら(出)なければならない」ことを認識したキャリアデザインをもって欲しいと思っています。

ー興味深いお話をありがとうございました。最後にコメントをお願い出来ますでしょうか。

松井: 現在、デジタルゲームの教科書のシリーズ展開第二弾として、「デジタルゲームの技術実例集(仮)」を制作しています。

また、ほぼ毎週木曜日に『デジタルゲームの教科書フリートークラジオ』を USTREAM で配信しています。ゲーム開発、ゲーム産業に興味のある人はぜひ聞きに来てもらいたいと思います。

それから、つい先日、新たなゲームメディア『gamer's express』を立ち上げました。これは、ゲームニュースの配信もそうですが、eスポーツ系のイベントレポートなども随時掲載していきたいと考えています。運営の側面として、ライターを育てていくこともやっていこうと思っています。かねてから言っている、「喰えるゲーマーを作っていく」ことの一環ですね(※ゲーマーを喰わせる、ではありませんので念のため)。興味のある人はぜひ問い合わせてください。

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松井さんが立ち上げたゲームメディア『gamer's express』

ただし、いきなり最初からライターとしてガンガン活躍できる、なんて思わないでください。まず、最初の半年から一年は日本語レベルの修行期間になるでしょうが、それをクリアできれば、それなりに喰っていく事はできるようになると思います。

非常に長くなりましたが、Yossyさん、お話しする機会を与えてくださってありがとうございました。

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松井さんの活動経歴については、今回紹介出来なかったものもかなりあります。これからも様々な企画が予定されているそうなので非常に楽しみです。

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